プーケットを離れ、日本に一時帰国して1ヵ月になります。
その間、ダイビングの仕事はほとんどせずに、毎日自宅にいて年老いた両親の世話をする日々。
でも意外と忙しいです。
よくサラリーマンの旦那さんが、主婦をしている奥さんに、「お前は暇でいいな~」なんて言って、怒られるシーンをテレビなどで見ますが、3度の食事を考えて、買い物をして、料理をして、お皿を洗ってるだけでもあっという間に時間が過ぎて行きます。
昨年までは、とりあえず父の介護をしている母親の負担を減らすために、夫婦で食事と洗濯と掃除はしていました。ただ今年は、父親の介護の手助けもしています。

働いていたころの両親は

私の父は今年93歳です。
この一時帰国中にも少しだけ、第2次世界大戦の話を聞くことが出来ました。
昭和一桁生まれで、酒も飲まず、タバコも吸わず、パチンコもしません。
ちょっとだけ競馬にかけて、マージャンをするだけの、真面目な生活をしてきました。
高校卒業後はいったん就職をして、働きながら夜学の大学に通ったそうです。
そこで経済を学んで、株を買うのが一番の楽しみでした。
今でも時々、新聞の株式欄を見て楽しんでいます。
日清製粉の子会社で繊維素材を作る会社に勤める、普通のサラリーマンでした。
山梨から出てきて、八王子に家を建て、息子3人を私立大学に通わせたので、自分の楽しみはほとんどなかったと思います。
母親は事務のパートをして家計を助け、同じように自分の楽しみはほとんどなく、いつも節約を第一に考えていました。

実家は2世帯住宅ですが、、、

現在父親は93歳で、要介護レベルは2だそうです。
母親は88歳で、要支援レベルの2だそうです。
本来ならば両親ともに介護などの支援が必要と言うことになります。
幸い実家は2世帯住宅にしていて、1階には両親が住み、2階では弟家族が暮らしています。
何かあれば両親の世話は弟が見てくれることになっていますが、仕事は忙しく、まだ小さな子供もいるので自分の家族のこととで精一杯です。
四六時中、年老いた両親の世話ができるわけではありません。
そのため父親の介護は、母親一人がしています。

父親の介護が必要になったのは

父親の要介護レベルは2なので、認知症で困っているわけでもなく、寝たきりの状態でもありません。
ただ皮膚にかゆみがあり、長年ステロイドを塗っていたせいで、その副作用で数年前に満月病になりました。
顔がアンパンマンのように膨れ上がる病気で、市内の大学病院に入院をしました。
満月病になる前までは脚立に上って、植木の手入れもしていましたが、病気を境に介護が必要な生活になってしまいました。

介護が必要になってからは

食事はできますが、それ以外の時間は介護ベッドで寝ていることが多くなり、歩くスピードもすっかり老人のようになりました。
服用していた薬の影響で糖尿病にもなり、おむつをする生活にもなりました。
耳は補聴器を入れていますが、ほとんど聞こえません。
母親が耳元でゆっくり大きな声で話しかけても、なかなか聞こえず聞き返すことが多いです。

介護のストレス

小さなストレスが積み重なってました

去年の6月に、いつものように2週間の一時帰国していた時に、父親を介護している母親の姿を見て心配になりました。

昨年の一時帰国のブログ
https://greendiverphuket.com/2025/09/17/9-17-blog20250917/
https://greendiverphuket.com/2025/09/27/9-27-blog20250927/
https://greendiverphuket.com/2025/10/06/10-6-blog20251006/

介護のストレスがたまり、父親に対して何度も怒りをぶつけていたのです。
その原因は些細なことで、父親がかゆみで頭をかくたびだったり、トイレで少し尿を漏らしてしまったりと言ったことでした。
久しぶり帰ってくる私たちにとっては些細なことかもしれません。
ただ毎日それを見ている母親にとっては違ったようです。
注意しても耳が遠い父親は、何を言われているのかわからず、同じことを何度も繰り返します。
何度言ってもまったく直らないので、いらいらは募るばかりでした。

それ以外にも

夜の頻尿もストレスの種でした。
おむつをしているので無意識に尿はしていますが、まだ尿意を催すとトイレに起き上がります。
それが深夜に1時間おきとなれば、眠りについたと思ったら起こされての繰り返しです。
父親一人で行かせればいいのかもしれませんが、寝ぼけて転んで骨折でもしたら大ごとです。
また尿の吸収パッドが丸まった状態でパンツをはいてしまって、パッドが尿を吸収できずに、布団が濡れてしまった事があったそうです。
それ以来、父親がトイレに起きるたびに、母がついていくようになり、睡眠時間が削られるようになりました。

お風呂に入るときも、父親が、母親よりも先に風呂場に行こうとすると、「一人じゃ危ないでしょ!何度言ったらわかるの」と怒ったり、食事の時も箸が上手に使えずにご飯を床に落とすと、怒っていました。

終わりが見えない介護

老人はよく赤ちゃんと一緒なんて言われますが、とても手がかかります。
ただ赤ちゃんはどんどん成長していきますが、老人はどんどん衰えていきます。
赤ちゃんは言っても当然わかりませんが、老人は言えばわかるだろうと期待してしまいます。
介護は先が見えません。
小さないらいらが少しずつたまって、当たりどころのない大きなストレスになっていきます。

母親も怒っても仕方ないことはわかっています。
自分に怒っているんだとも言っていました。
ただ、何でも抱え込んでしまう性格で、2階にいる仕事が忙しい弟には、なかなか助けを求められなかったみたいです。

短期の一時帰国で、したことは

昨年は食事の世話だけ

去年の6月の2週間の一時帰国で、このままでは母親が介護疲れで倒れて、父親も共倒れになるんじゃないかと思い、9月~10月にもう一度、短期滞在の一時帰国をしました。
ただその時は、3度の食事の世話をしましたが、ほとんど介護の手伝いをしませんでした。

今年は介護の手伝いもしました

今回の一時帰国も食事の世話は当然ですが、少しくらい介護の手伝いもできるかな?と思いながらやってきました。
最初の一週間は、母親がどんな介護をしているのか?を細かく観察しました。
トイレに行くとき、食事をするとき、お風呂に入れるとき、薬を飲ませたりつけるときなどです。
ただ手助けはほんの少しだけで、おむつパッドも私は替えていませんでした。
父親とは言え、トイレをしているそばに座って、おむつパッドを替えるのには、私も抵抗があったからです。

本格的に介護をしたのは、母親が2泊3日で出かけたときでした

ただ、一時帰国を一週間過ぎた頃に、弟が2泊3日で母親を八ヶ岳に連れていくことになりました。
私が来ているチャンスに、父親の介護は私に任せて、介護疲れの母親に温泉でもめぐって、うまいものでも食べさせることにしたからです。
こんなチャンスはもうないだろうと思い、父親の介護を2泊3日で私が担当することになりました。

初めての介護は難しい

母親が外出してから、私一人での介護が始まりました。
夕食を食べ終わった後からだったので、まずは父親をお風呂に入れるところからでした。
肌着を脱がせようとしたら、首回りの硬いところが目に入って、いきなり驚かれて怒られてしまいました。
風呂に入って、たまには頭でも洗ってあげようと思ったら、シャワーの水を長くかけすぎて、父親が息が出来なくなり咳き込んでしまいました。
湯船に入れるときも体を支えて中腰になっていたせいで、自分も腰が痛くなりました。

風呂から上がったら、体を拭いて、皮膚が赤くなっているところに3種類の薬を塗ります。
おむつをつけて、肌着を着せ終えたら、頭と足に椿油をつけて保湿します。
ここまで済ませて、父親を介護ベッドに寝かせたら、自分もそのわきに布団を敷いて寝ました。
母親の身を見まねの介護ですが、力加減や薬をつける量などが試行錯誤でした。

一番つらい介護の時間は夜でした

父親は1日の終わりですが、私はここからが一番つらい介護の時間です。
夜の9時ころから朝の6時ころまで、2時間に1回くらいのペースで父親がトイレに行きます。
その付き添いをして、おむつパッドの様子を調べなければなりません。
あまり濡れていない時はそのままにして、4時間を超えるあたりで尿取りパッドを交換します。
と言ったって、どのくらい濡れたら交換したらいいかさっぱりわかりません。
しかもパッドをおむつのどのあたりに当てたらいいか、前過ぎないか後ろ過ぎないか、尿は漏れないかなど心配しながらの交換です。
おむつバッドを交換して、しばらくうとうとしていると、頭の先で「しょんべん」と言って起き上がってくる父親がいます。
初日の夜は眠った気がしませんでした。

朝起きて、いつものように朝食を作るのですが、なんだか頭がボーとして力が入りませんでした。
朝食中も頭がかゆくて、頭をかきむしる父親の頭に、冷却パッドを当てたり。
補聴器や眼鏡を取ってあげたり。
いつもは母親がサラダを食べ終わった器に納豆を作ってあげているので、同じようにしたり。
食事が終わったら薬を飲ませて、頭にまた椿油を塗りました。
母親がいなくても、いつもと同じような生活を父親にさせる。
そんな当たり前のことをさせるが、なかなかの苦労でした。
もっとも嫁さんと一緒に来ているので、食事の準備で野菜を切ったり、皿を洗ってくれるので、少しは楽が出来たと思います。

93歳でもしっかりした父親だと思う

父親は耳はほとんど聞こえませんが、痴呆がありません。
歯もしっかりしているので、食事がしっかりとれます。
トイレもとりあえずよたよた歩行でも、一人で行くことが出来ます。
尿は心配ですが、ウンチをおむつパッドにしてしまうことはありません。
頭がかゆいのも、介護ベッドに横にさえなれば、痒さは止まるようですぐに眠りにつけます。
そんな父親の状態だったので、私も介護ができたと思います。

介護をした良かったこと、嬉しかったこと

父とトイレで二人っきりになり、おむつを上げているときに、「ブラジル戦はいつあるんだ?」なんて言われてびっくりしたことがありました。
寝てばかりで、テレビもほとんど見ているのかどうか?わからないと思っていた父親が、ワールドカップの日本の活躍を知っていて、なんだか嬉しくなったものです。
ボケてなくてよかったという安心もありました。

母親不在の2泊3日でしたが、父親を24時間見ることが出来て、それもよかった気がします。
こんなに父親の顔を間近で見たことが61年、一度もありませんでした。
父親がおむつパッドを替えた後や、ベッドでブランケットをかけてもらうたびに「ありがとう」と言ってくれるのもなんだか嬉しかったです。
母親が帰ってきてからは、母親の介護の手助けも積極的にするようになりました。
寝る前には父親に歯間ブラシを当てて、歯磨きをするようにもなりました。

今回の1ヵ月の一時帰国中、母親がストレスで「キーッ」となることはほとんどありませんでした。
母親も少し介護の苦労が減って、私も父親の面倒を去年以上に見ることが出来たのは良いことだったと思います。
今は週に2回、針灸マッサージの方に来てもらっています。
毎週金曜日には、訪問介護の方にも来てもらっています。
満月病の後からは、ケアマネージャーがついて、月に1度様子を見てもらっています。
介護の悩みや相談を少しでもできるのは、とても良いことだと思っています。
今月からは、訪問診療に移行することも決まったようです。
いい先生にあたって、介護の疲れがすこしでも癒されてくれればいいなと思っています。

こんな親孝行があと何年出来るかわかりませんが、介護で共倒れにならないように、私たちもちょくちょく日本に来られたらいいなと思っています。